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東京地方裁判所 昭和29年(ヨ)1661号 判決

債権者 旭化成工業株式会社

債務者 日本化薬株式会社

主文

債権者が金五百万円の保証を立てることを条件として、次のように定める。

債務者は、登録番号第二〇三四四九号特許権の権利範囲に属する別紙目録〈省略〉第一記載のような完全無瓦斯導火線及びこれを使用した段発電気雷管並びにMS電気雷管を製作、使用、販売又は拡布してはならない。

別紙目録第二記載の各作業所及びこれに附属する火薬庫内にある右各物件の製品及び半製品に対する債務者の占有を解いて、債権者の委任する右各作業所の所在地を管轄する地方裁判所所属の執行吏に、その保管を命ずる。

執行吏は、その保管にかかることを公示するため、適当な方法をとらなければならない。

訴訟費用は、債務者の負担とする。

事実

(債権者の申立及びその理由)

債権者訴訟代理人は、主文第一項(但し、保証の点を除く。)同旨の判決を求め、その理由として、次のとおり、陳述した。すなわち、

(理由)

一  債権者は、人造繊維及びその織物、火薬、爆薬及び火工品、窒素肥料及びその他の肥料等の製造販売を業とする株式会社であり、債務者は、火薬類、染料等の製造販売を業とする株式会社であつて、別紙目録第二記載の各作業所を有しているものである。

二  債権者は、昭和二十四年十月七日、特許庁に対し、別紙目録第一記載のような完全無瓦斯導火線の発明について特許出願し、昭和二十六年六月十二日公告手続を経て、昭和二十九年一月十六日、右特許の登録を受け(登録番号第二〇三四四九号)、その特許権者となつたものである。

三  ところが、債務者は、昭和二十五年六月頃から、別紙目録第二記載の各作業所において、右特許権(以下本件特許権という。)の権利範囲に属する別紙目録第一記載のような完全無瓦斯導火線及びこれを使用した段発電気雷管並びにMS電気雷管(以下本件導火線及び段発電気雷管という。)を製作、使用、販売、拡布している。

四  しかしながら、債務者は、右物件、製作、使用、販売、拡布について、債権者に対抗できる何等正当な権原を有しないものであつて、債務者の右の行為は、債権者の本件特許権を侵害するものであるから、債権者は、昭和二十九年一月二十八日及び同年二月二十二日内容証明郵便をもつて、債務者に対し、右製作、販売等の中止方を要求し、該書面は、いずれも各翌日債務者に到達したにかかわらず、債務者は、これに応ずることなく、依然として右特許権侵害行為を継続しており、将来も、これを継続する虞れのあること明白なので、債権者は、債務者に対し、右侵害の排除及び予防を求めるため、本案訴訟の提起準備中であるが、債権者は、前述のような株式会社であつて、昭和二十四年十一月以来本件特許権に基き、本件導火線及び段発電気雷管を製作販売しており、本邦におけるその全需要量を独力で供給し得る設備能力を有するものであるところ、右物件は火薬業界において必須不可欠のものであり、その需要量は製作者の如何にかかわらず、ほとんど一定しているから、債務者が右物件を製作販売しなければ、債権者のその販売高は、それだけ増加するものであり、債務者がこれを製作販売することにより、債権者は、その販売高の増加により得べかりし利益を喪失することになり、それによる損害額は、少くとも、年間約千三百七十万円に達するものと推定されるばかりでなく、右物件の販売の減少に伴つて、爆薬の売上高も減少し、延いて債権者の信用も著しくそこなわれる結果となり、債務者の不当な販売競争のため、債権者はそれだけ無用な宣伝費その他の出費を要することとなる。また、本件特許発明は、現在の段階においては、無瓦斯段発電気雷管の製作に非常な効果をあげ、注目すべき発明とされているのであるが、この種製品の分野においても、日々新しい研究が行われているので、将来新規な発明がされることは必定であるから、現在のまま時日を経過するならば、本件特許権は、ただ単に名目上の権利に止る結果となり、債務者の本件特許権侵害行為を放置しながら、前記本案訴訟の判決確定を待つていたのでは、仮に債権者が右訴訟において勝訴の判決を得たとしても、その実効を期し難いばかりでなく、到底回復することのできない著しい損害を蒙ること明らかである。よつて、債権者は、債務者に対し、この著しい損害を避けるため、申請の趣旨記載のような仮処分を求めるため、本件申請に及んだ次第である。なお、債務者主張の事実は否認する。

〈債権者の疏明省略〉

(債務者の申立及びその理由)

債務者訴訟代理人は、本件仮処分申請を却下するとの判決を求め、債権者の主張に対し次のとおり陳述した。すなわち、

申請の理由一から三の事実及び同四の事実のうち債権者主張の日に、その主張のような内容証明郵便が到達したことは、認めるが、その余の債権者主張の事実は、すべて否認する。(一)債務者は、昭和二十四年二月頃、すでに本件特許発明と同一の発明を完成し、少くとも本件特許出願前たる同年五月には債務者会社厚狭作業所(山口県所在)及び同小倉作業所(福岡県所在)において、本件導火線を業として製作するに至り、ついで、これを使用した本件段発電気雷管を製作し、同年五、六月頃中外鉱業株式会社持越鉱業所(静岡県所在)において、同年九月頃三井鉱山株式会社三池鉱業所(福岡県所在)において、同年十月頃宇部興産株式会社大嶺鉱業所(山口県所在)において、同年十二月頃日本炭鉱株式会社遠賀鉱業所(福岡県所在)において、それぞれ本件段発電気雷管の実用試験(専ら製品が使用対象たる鉱山の地質、鉱石の分布状態又は鉱山の採用しているもしくは今後採用する発破法に適応するかどうか等具体的対象への適応性如何の試験であり、宣伝普及のために行う試験である。)を行い、その宣伝普及をするとともに、その実効を示すために、これを使用し、あるいは第三者に無償で提供して実用に供させ、昭和二十五年六月以降これを市販し、本件発明と同一発明の実施の事業を営んできたものである。また、債務者は、昭和二十四年二月頃、前記厚狭作業所に無瓦斯火導薬の製造設備を、前記小倉作業所に本件導火線の被覆設備を、それぞれ設け、又は既存設備をこれに転用し、右各設備は、いずれもそのまま、前者は昭和二十六年八月頃まで、後者は今日まで使用してきたのである。しかして、本件特許出願当時、債務者は債権者の本件発明の事実及び特許出願の事実を知らなかつた。すなわち、債務者は、本件特許出願の日たる昭和二十四年十月七日当時、現に、善意に、国内において、本件特許発明と同一発明について、その実施の事業をし、又はその事業設備を有していたものであるから、特許法第三十七条にいわゆる法定実施権を有するものである。従つて、債務者は、本件導火線及び段発電気雷管を製作、使用、販売、拡布する権利を有するものであり、これらの行為によつて、何等債権者の本件特許権を侵害しているものではないから、債権者の本件仮処分申請は、すでにこの点において失当であり、却下さるべきものである。(二)仮に、右の主張が理由がないとしても、債権者の本件仮処分申請は、その必要性の疏明を欠き、結局却下を免れない。すなわち、債務者が本件導火線及び段発電気雷管を製作販売することにより、仮に債権者にその主張のような損害を生ずるものとしても、それは単に財産上の損害たるに止るに反し、債務者が本件導火線及び段発電気雷管の製作、使用、販売、拡布を差し止められるならば、債務者は、月額千数百万円にのぼる売上を失い、ひいては、爆薬の顧客の大半を失うことになるばかりでなく、本邦随一を誇る本件導火線及び段発電気雷管の製造施設の遊休化、二百名以上に及ぶ工員の失業を来すなど、回復することのできない莫大な損害を蒙ることになる。また、債務者の右物件の製作販売の停止は、直ちに全国段発電気雷管の生産量の七十パーセントが失われることを意味し、全国火薬業界に大混乱をひきおこし、国家的社会的に多大の損害を与えることになるものである。従つて、このような結果を生じさせる本件仮処分申請は、明らかに、その必要性を欠くものといわなければならない。

〈債務者の疏明省略〉

理由

債権者及び債務者が、それぞれ債権者主張のような株式会社であり、債務者が債権者主張のような各作業所を有していること、債権者が昭和二十四年十月七日特許庁に対し別紙目録第一記載のような完全無瓦斯導火線の発明について特許出願し、昭和二十六年六月十二日公告手続を経て、昭和二十九年一月十六日右特許の登録を受け(登録番号第二〇三四四九号)、その特許権者となつたこと並びに債務者が、昭和二十五年六月頃から、債権者主張の各作業所において、右特許権の権利範囲に属する本件導火線及び段発電気雷管を製作、使用、販売、拡布していることは、いずれも当事者間に争がない。

よつて、まず、債務者が、はたして、その主張するように、本件特許発明について、特許法第三十七条に定めるいわゆる法定実施権を有するものであるかどうかについて考察する。

そもそも最先願主義を採用する現行特許法が、その第三十七条においてあだかも最先発明主義をとる場合におけるように、特許出願の際、現に、善意に、国内において、特許発明と同一発明の実施事業を営み、又は事業設備を有するものに、いわゆる法定実施権を付与している所以のものは、もし最先願主義を貫き通すならば、特許出願の際、現に善意に、他人の出願にかかる特許発明と同一発明を利用して、製作、使用、販売、拡布等の実施事業を営み、又はその事業設備を有する者の既存の事業もしくは設備を無用廃絶に帰せしめ、ひいて、国家経済の見地からしても不利を招来する虞れがあるところから、このような結果を防止する目的をもつて、右特許発明と同一発明の利用者に対し、その利用の範囲内において、なお従前どおり、これを利用する権利、すなわち、実施権を付与し、特許権者の権利と右先用者の権利との調整を図ろうとするにあることは明らかである。従つて、前記法条にいわゆる「実施の事業をなすもの」とは、特許発明と同一発明を利用して、その発明にかかる物を製作(方法の発明における方法の使用を含む。以下同じ。)、使用、販売、拡布するものをいゝ、また、同条にいわゆる「実施の事業設備を有するもの」とは、右発明を即時に実施しようとする意思を有し、かつ、その意思の客観的表明としての施設を有するものをいい、単に特許発明と同一発明をなすべく研究中のものは勿論、右発明をしたものであつても、その実施をしないもの又はこれを即時に実施しようとする意思を有しないもの、もしくは、その意思を有していても、それが客観的に表明された施設を有しないものなどは、右法条にいわゆる実施の事業をなし又は事業設備を有するものには該当しないものと解するを相当とする。

いま、これを本件についてみるに、(一)証人戸谷富士夫の証言により、その成立を認め得る乙第一号証の四によれば、債務者が、昭和二十四年二月十一日、株式会社米井商店(以下単に米井商店という。)から、見本品として、不燃性糸条であるグラスヤーン八十番手約六十米、三十番手約百米の送付を受けたことが、一応認められるけれども、証人明石善作の証言及び本件口頭弁論の全趣旨によれば、右のような番手のグラスヤーンでは、本件導火線の被覆はできないものであることが推認される。(二)右戸谷証人の証言によりその成立を認め得る乙第一号証の五、七、九及び同第四十四号証の二によれば、債務者が米井商店から、昭和二十四年五月六日に約千二百番手一・〇四瓩、二百番手〇・三瓩、同年九月十七日頃に約千二百番手三瓩、二百番手〇・五瓩、同月二十六日に約千二百番手六瓩、二百番手一瓩のグラスヤーンを、それぞれ購入したことが、一応、認められるが、前掲明石証人の証言によれば、債権者が本件導火線の研究に着手以来その発明の完成に至るまでの間に消費したグラスヤーンの量は、約三、四十瓩であつたことが窺われる。(三)右明石証人の証言によれば、無瓦斯火導薬を導火線形式に被覆する場合には、その被覆材料の如何にかかわらず、黒色火薬導火線を被覆する場合よりも口径の大きい薬臼と中臼を被覆機に使用しなければならないことが疏明され、証人井田一夫の証言によれば、債務者が従来黒色火薬導火線の被覆に使用していた薬臼を口径の大きい薬臼に始めて取り替えたのは、昭和二十四年六月頃であつたこと及び債務者の無瓦斯火導薬を導火線形式に被覆する研究過程において、グラスヤーンで被覆するようになる以前に麻糸で被覆した時代があつたことが窺われるが、これらの事実を綜合すれば、債務者は、昭和二十四年六月頃に至つて始めて、無瓦斯火導薬を麻糸で被覆する実験に着手したことが推認できる。(四)証人石原資郎の証言(第一回)によりその成立を認め得る甲第十四号証によれば、債権者は、昭和二十四年十一月から日本産業火薬会に対し本件段発電気雷管の製作数量を報告しているに対し、債務者が始めて右物件の製作数量を同会に報告したのは、昭和二十五年六月であることが明らかである。(五)証人新美政義の証言によれば、火薬類その他の危険物を甲種炭坑の特免区域、乙種炭坑、金属鉱山等に設置使用する場合には、それが型式検定に合格したものであることは、必ずしも法規上要求されてはいないが、新製品が発明された場合には、型式検定に合格して、始めてその価値が一般に承認され、需要者も始めてこれを使用するに至るのが普通であるので、新製品が出来たときは、遅滞なく型式検定を受けるのが業界における一般的慣習であることが窺われるところ、成立に争のない甲第十一号証によれば、債権者が本件段発電気雷管について型式検定に合格したのは昭和二十五年一月三十日であることが一応認められるに反し、成立に争のない甲第十三号証によれば、債務者が右同様の型式検定に合格したのは同年八月三十日であることが明らかである。上に掲げた(一)から(五)の各事実と、当事者間に争のない債務者が本件段発電気雷管の市販を開始したのが昭和二十五年六月である事実及び弁論の全趣旨とを綜合して考えると債務者は、昭和二十四年十月七日当時においては、前記グラスヤーンを使用し、既存設備を利用して、無瓦斯火導薬を導火線形式に被覆する研究をしていたに止り、いまだ本件導火線及び段発電気雷管を製作、使用、販売、拡布等するに至つてはいなかつたのみならず、右物件を即時に製作、使用、販売、拡布等しようとする意思をもつて、既存設備の転用の準備をし、もしくは新設備を設置する等その実施の具体的準備をするという段階にも至つていなかつたものと推認せざるを得ない。従つて、債務者は、昭和二十四年十月七日当時、現に、本件発明と同一発明について、その実施の事業をなし又は事業設備を有したものとはいえないといわざるを得ない。乙第三号証の十、同第四号証の一、二、同第五号証から第七号証、同第八、第九号証の各一、同第四十二号証の各記載並びに証人井上胤徳、井田一夫、日野熊雄、佐藤秀綱、坂巻喬(第一、二回)及び木下四郎の各供述中債務者の前記主張に符合する部分は、前掲の事実及び本件口頭弁論の全趣旨に照らし、たやすく信用することができない。もつとも、井田証人の証言により真正に成立したと認める乙第二十二号証の一、二によれば、昭和二十四年八月二十二日、債務者会社小倉作業所において、無瓦斯火導薬を導火線形式に被覆する作業中に火薬の発火事故が発生したことは、一応、認められるが、右事故が無瓦斯導火線をグラスヤーンで被覆中に発生したものであることについては、乙第四十六号証の二中にこれに符号するような記載部分があるけれども、右記載部分は、石原証人の証言(第一、二回)により、その成立を認め得る甲第二十二号証の二の一、三、同第三十号証の二、同第三十二、第三十三号証及び成立に争のない甲第三十一号証の二の二に対比し、にわかに措信しがたく、他に右事実を認めるに足る適確な疏明資料はないから、いまだもつて、債務者が当時本件導火線の製造、とくに、事業として製造をしていたとすることはできない。また、乙第十六号証の三、第十七号証の六、七、第十八、第十九、第三十三号証には、それぞれ昭和二十四年五月頃から同年十一月頃までの間において、債務者製作にかかる「新段発電気雷管」あるいは「無瓦斯段発電気雷管」と称するものの実用試験が行われた旨の記載があるけれども、成立に争のない甲第二十六号証及び弁論の全趣旨に徴すれば、昭和二十四、五年当時業界においては「新段発電気雷管」あるいは「無瓦斯段発電気雷管」といえば、無瓦斯火導薬を芯薬とし、これを不燃性糸条で被覆した導火線を延時装置に使用した段発電気雷管を指すものとは限らず、無瓦斯火導薬を芯薬とし、これを通常の導火線と同一の被覆材料、例えば麻糸で被覆した導火線を延時装置に使用した段発電気雷管も、一般に、「新段発電気雷管」あるいは「無瓦斯段発電気雷管」と呼ばれていたものであることが窺われ、この事実に弁論の全趣旨を斟酌して考えれば、前記各記載をもつて、直ちに、債務者主張の頃本件段発電気雷管の実用試験が行われたことの疏明があつたものとはなしがたい。その他本件口頭弁論に現われたすべての疏明方法によつても、債務者が昭和二十四年十月七日当時本件発明実施の事業をなし又は事業設備を有していたとの事実を疏明することができない。従つて、右事実の存在を前提とする債務者の前記主張は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において失当であるから、これを排斥するのほかなく、債務者は、本件特許にかかる発明について、その主張するような実施権を有しないものとなさざるを得ない。

はたして、しからば、債務者が本件導火線及び段発電気雷管を製作、使用、販売、拡布するについて、債権者に対抗できる正当な権原を有することについて他に主張疏明のない本件においては、債務者は右物件を製作、使用、販売、拡布することによつて債権者の本件特許権を侵害しているものというほかない。しかして、債権者がその主張の日時、内容証明郵便をもつて、債務者に対し、右物件の製作、販売の中止方を要求したが、債務者は、依然右製作使用、販売、拡布を継続していることは、当事者間に争のないところであるから、債務者が本件特許権の侵害となる行為を、将来も繰り返す虞れがあることは、一応明らかなものというべく、従つて、債権者は債務者に対し本件特許権侵害の排除並びに予防を請求する権利を有するものといわざるを得ない。

次に、本件仮処分の必要性について考察するに、債務者が債権者の本件特許権侵害行為を継続するであろうことは上に説示したとおりであり、石原証人の証言(第二回)により真正に成立したと認める甲第二十九号証の一及び成立に争のない同号証の二によれば、債権者は昭和二十四年十一月以来本件特許権に基き、本件導火線及び段発電気雷管を製作、販売しており、本邦におけるその全需要量を、独力で供給し得る設備能力を有するものであるところ、右物件は火薬業界において必須不可欠のものであつて、その需要量は製作者の如何にかかわらず、ほとんど一定しているから、債務者が本件特許権の侵害行為をこのまま継続するならば、債権者は本件導火線及び段発電気雷管の販売高の増加並びにこれに附随する爆薬の販売高の増加により得べかりし利益を喪失し、ひいて信用もそこなわれ、販売競争のため無用な宣伝費その他の出費を余儀なくされることになり、その有形無形の損害は莫大であり、仮に債権者が将来債務者に対する本件特許権侵害排除及び予防請求の本案訴訟において勝訴の判決を得たとしても、その実効を期しがたいばかりでなく、到底回復することのできない程度の著しい損害を蒙ることになるであろうことが一応推認され、他にこれを覆すに足る疏明はない。一方債務者は本件導火線及び段発電気雷管の製作、使用、販売、拡布を中止しなければならないとすれば回復すべからざる著しい損害を蒙る旨主張するので、この点について考えるに、証人佐藤秀綱の証言によりその成立を認め得る乙第三十号証によれば、債務者は本件段発電気雷管の製作、販売を中止することにより、月額千数百万円に達する売上高を失うであろうことは窺えるが、右売上金額は、債務者の総売上金額に比すれば、極めて僅少のものと見られることは、弁論の全趣旨に徴し真正に成立したと認められる乙第二十七号証により明らかであるから、右売上の喪失が債務者にとつて回復することのできない著しい損害であるとは認めがたく、右製作販売停止の結果、債務者が爆薬の顧客の大半を失い、雷管製造施設の遊休化、二百名以上に及ぶ工員の失業を招来するということについては、この点に関する乙第三十一号証の記載は、成立に争のない甲第十五号証に対比して信用しがたく、他にこれを認めるに足る疏明資料はなく、結局本件口頭弁論に現われた全疏明によつても、本件導火線及び段発電気雷管の製作販売停止により債務者が特に著しい損害を蒙ること及びその損害が到底回復することのできない性質と程度のものであるという事実は、これを認めることができない。また債務者は、債務者が右物件の製作販売を停止することにより、全国段発電気雷管の全生産量の七十パーセントが失われることになり、全国火薬業界市場に大混乱をひき起し、国家的社会的に多大の損害を生ずる旨主張するけれども、これを認めるに足る疏明はない。

従つて、本件において疏明された事実関係の下においては、債権者の前記権利を保全し、その蒙る著しい損害を避けるため必要な措置として主文掲記のような仮処分を命ずるを相当とするものと断ぜさるを得ない。

よつて債権者の本件仮処分申請を認容し、債権者において金五百万円の保証を立てることを条件として、主文掲記の仮処分を命ずることとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 荒木秀一 輪湖公寛)

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